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執筆者の写真HABU Kazuko

「Takayanagiさん」

授業が始まる前に出欠が取られる。「ハブ、、」と名前を呼ばれカズコと続くと思い待っていたら「のミナト!」 えっハブの港!?って確か昔の歌謡曲のタイトルだっけ、でも呼ばれたから返事しなくちゃと小さい声で「ハイ」と答える。「ハブの港を知ってるか?」私「あ、は、はい。聞いたことはありますぅ、、」あれ?ここ笑うとこ?と緊張感の中で妙に焦っていると周りからクスクスと小さな笑い声が。。

親しかった方々はダジャレの巨匠と呼ぶ?〜フリージャズのギタリストjojoさんこと高柳昌行さんの30年も昔のジャズ講座。授業の内容はジャズの歴史本に沿いながら進んで行く。ジャズのジャの字もわからない私はただなんとなく気になることだけをメモすることしかできず、しかも不規則な生活の中での水曜午前中の授業は眠くてだるくて毎回休もうか、、と思いながら通った。チコちゃんに叱られそうなくらいボーッとして教室で待っていると小柄でまあるい(私もそうだけど)jojoさんが奥様と一緒に入ってくる。シーンと張り詰める空気。出席簿を出し名前を呼びあげ始めると奥様は一番後ろの端の席で読書を始められる。ピシッと背筋を伸ばし清楚なワンピースまさに知的美人。このころjojoさんの体調は不安定で時には休校になることもあったが、それでも無理をして授業に来られた日などはささやくような声で授業がスタートする。う〜ん聞こえにくい。。大丈夫だろうか辛そうだなと心配になる。ところがしばらくすると教科書の内容から逸脱しライブの経験談や業界爆笑話などいわゆるjojoさん節で生徒達も盛り上がりどんどんjojoさんは元気を取り戻してへ〜んしーん♫ うつむいてトレードマークのキャップ姿しか見えなかったのに最後は声も大きくサングラスの奥の目が笑っているのがわかる。次のクラスの時間になっても話は止まらず教室のスタッフが慌てる。まさに止まらないギターソロ!次の世代に伝えたい気持ちがそうさせていたのかしら。そんな時も静かに見守る奥様の眼差しも忘れられない。

先日御歳86歳になられるギタリスト中牟礼貞則さんが「あなた達の知っているjojoはフリージャズになってからでしょ?僕はもっともっと昔から一緒に居たんだよ。水泳が得意で元気いっぱいの男。スマートでかっこよかった」ええ〜そうなの!渋谷ジャンジャンでのフリースタイルジャズからは全く想像がつかない。なんて振れ幅の広い人だったんだろう。中牟礼さんの演奏を聴いてjojoさんを思いだした。一音に込められているその何か。ギターの弦が振り切れる瞬間までが聞こえて来る音熱のような響きだ。

「人間は歳をとってからいいものができる。煮詰まってきた時にその人の音楽観がでてくる」

レニートリスターノと聞いて「え?どこの俳優さん?」そんなレベルのあの頃さっぱり授業について行けなかった私のセピア色のノートにミミズ文字で書かれていたjojoさんの言葉。 他にもいくつか書き出すと。。

● 物事は進歩しないといつかやめる事になる。 ● 完璧。100点は無い。自分たちが100点だと予測するものに近づいて行っている。 ● 殴られるような衝撃を感じる位の勉強をしなければならない。 ● どんなに悪条件のライブであっても今自分の中に確信ある音を信じていないと全てが終わってしまう。 ● リズムは頭脳から生まれてくる。 ● 音楽、本は多種類を聴き読む事。何が良い面で何が悪い面かを常につきあわせながら。 ● 命がまるごと音楽を要求しないかぎり音楽に手を出してはいけない。

う〜ん心に沁みる。 音楽の話だけにとどまらない講座の深さを今になって実感。

写真は「本八幡Cooljojo jazz+art」 高柳さんのLPジャケット。 Cooljojoに展示されているjojoさんの蔵書に記されていたサイン。Takayanagi の前に二つのM。きっとひとつは奥様のイニシャルかもしれない。愛妻家jojoさんも素敵でした。 ふと「パブカズコ」ってjojoさんにならウケたかもしれないなぁと思ってしまった。






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